vol.12 沖縄再興への誓いをDNAにもつ紅麹菌

 「沖縄財界四天王」と呼ばれる4人の著名な経営者の一人に、宮城仁四郎(1902~1997)という方がいらっしゃいます。沖縄機械製塩(昭和23年)、大東糖業(昭和25年)、琉球セメント(昭和34年)、その他パイナップル加工業、畜産加工業、たばこ製造業など20社を設立し、琉展会という企業グループを形成したほか、琉球工業連合会、沖縄県経営者協会などの会長職を歴任した人物です。

 仁四郎氏は大宜味村生まれ。沖縄県立農学校から鹿児島高等農林学校(現・鹿児島大学農学部)の農芸化学科に進学して専門教育を受けました。農芸化学とは、農業を化学の手法で研究し、食品加工や発酵、バイオ技術等によって付加価値を高めるための学問です。
 数多くの農産加工業を立ち上げた仁四郎氏には、戦後の発言として次のような語録が残されています。(日本経済新聞社(1990)「九州の社長Ⅱ」より)

 「一次産業の基礎づくりができて初めて二次・三次産業は成り立つ。サトウキビとパイン産業の育成こそが私の人生」
 「沖縄の基幹産業である糖業の復興こそ、沖縄が経済的にも精神面からも、戦災による荒廃から立ちなおる唯一・最善の道である」

 こうした言葉には、サトウキビ・パイナップル産業にとどまらず、沖縄の地域的特性を生かした農業と製造業によって沖縄の未来を切り拓いていくという、一人の技術者・起業家の決意が込められていると思います。

 琉展会の中核企業である琉球セメントで、創業者仁四郎氏の意志を受け継いだ故・濱元栄吉氏も農学を学んだ経営者でした。濱元社長の指揮下で、琉球セメントはバイオ関連事業の開発に乗り出しました。そして、いくつか挑戦したプロジェクトのうち、紅麹菌の培養とそれを用いた“豆腐よう”の事業化を成し遂げました。これは琉球秘伝の宮廷発酵食品“豆腐よう”の熟成機構を解明した、琉球大学農学部・安田正昭教授からの技術移転によるものです。この事業は経営者として開発を推進した濱元氏に因み、“紅濱”というブランド名がつけられました。

  • 株式会社マキ屋フーズの紅麹

    写真提供:株式会社マキ屋フーズ

  • 株式会社マキ屋フーズの紅麹製造の様子

    写真提供:株式会社マキ屋フーズ

 紅麹菌は、抗菌性のクエン酸を多量につくる黒麹菌と異なり、雑菌に汚染されやすく大量培養が難しいデリケートな微生物です。発酵食品の原料となる麹は麹菌を蒸した米などに培養してつくられますが、泡盛麹が黒麹菌を2日間培養して出来上がるのに対して、紅麹を作るためには厳しい管理のもと、7日~10日間かけて紅麹菌を培養する必要があります。紅麹菌は、赤い色素を生産するだけでなく、独自の香りや味を醸し出す特徴的な酵素を持っています。また、コレステロールを下げる薬の元となる物質も紅麹菌から発見されました。さらに、血圧降下や睡眠改善、ストレス軽減などの機能が知られているGABA(γ‐アミノ酪酸)を多量に生産する菌株もあります。しかし、こうした機能性はすべての紅麹菌にあるわけではなく、選ばれた菌株のみが持つ特性です。

 紅麹は着色用の食品原料または機能性素材として本土企業により製造されたものも流通していますが、これらは殺菌処理がされて酵素力を失っている場合があります。機能の優れた独自の優良菌株を選抜し、酵素力のある生きた紅麹菌を自社で発酵に用いることができる企業は、実は非常に少ないのです。創業者宮城仁四郎氏・二代目濱元栄吉氏の沖縄再興への熱い思いをDNAとして受け継いで実現した琉球セメントの紅麹事業は、現在は、そこから独立した技術者によって設立され独自の紅麹事業を展開してきた会社に全面的に引き継がれています。



※本コラムは関係者への聞き取りと以下の文献を参考にしてまとめました。

・沖縄コンパクト事典(琉球新報社)
・九州の社長Ⅱ(日本経済新聞社 1990)
・工連50年史(沖縄県工業連合会 2003)
・沖縄における企業の生成・発展に関する史的研究(山内ら、広島経済大学経済論集 2013)

(一社) 沖縄県健康産業協議会 専門コーディネーター 照屋 隆司(日本臨床栄養協会認定 NR・サプリメントアドバイザー/農学修士)